人間って、
(って、そんな大風呂敷なくくりでいいのかよ?)
意識的に、無意識的に
両方で、自分の限界点があるんだろうなあ、と。
何かに怒りを感じている人を見るにつけ、
どこのどのポイントで、その人が怒っているのかとか
考えてみると、他人のワタクシから見ると、
意外に、そこで怒ることの方が理不尽な気がすることもある。
先ほど、ワタクシの見た夢では、
ワタクシがファーストフードの店で
あらん限りに店員を怒っていた。
涙目になって、怒ることに全身全霊注いでいるかのように。
「コレはどんな食べ物ですか?」と聞いたワタクシに、
その店員が「このようなモノでございます。」
と目の前で見せてくれる。
「では、こちらは?」
「こういったモノでございます。」
「そうですかあ。でも、ちょっと、今、この中で
食べたいと思うモノがないので、失礼しますよ。」
「はい、お会計○○○円でございます。」
「え?何も頼んでいないよ。」
「今、お見せしたモノは全て、
御注文をお受けしたことになっております。」
「でも、オーダーは一つもしていないよ。」
「当店では、そういったシステムになっております。」
それはおかしいんでない?ということで責任者だせ!
とばかりに、怒り狂うワタクシ。
出てきた責任者にも批難の嵐。
そこで、その店員がポツリ
「なんで、そんなに怒ってんですか?」
それでも止まらぬワタクシの怒り。
目が醒める。
なんで、あんなに怒ってんだろう?
最近のワタクシの生活の中で
ワタクシが理不尽と感じることがいっぱいあった。
それは、おかしい、と言ったこともあるし、
飲み込んだ言葉もある。
ワタクシはそれを理不尽と感じていたんですよ。
それは別の視点から見れば、ワタクシが感じるほど
理不尽な事柄ではないのかもしれないけれど、
ワタクシには許せなかったんだろうね。
それは、かえすがえすも、
自分の価値観の限界点を越えてしまったことであり、
自分が自分を許せない、というポイントを
つっつくような事柄なんだけれど、
そして、それが自分の身に降り掛かってきた時に
それに対する自分の責任や、対応を思うと、
その理不尽さに対して、ワタクシは
視点を変えることによってやり過ごしたりする。
相手の立場になって考えたり、ということ。
この自分の価値観からすると許せない行為に対して
怒るという行為によって自分のフラストレイション込みの感情を
相手にぶつけることは、自分は赦せるか?
といったら、ワタクシは
それが赦せない、のだよ。
なかなか、怒れないのだよ。
で、夢の中のファーストフード店では
ワタクシは、多分、普通だったら穏便に解決したり
飲み込んでしまうことに対して
ひどく感情的に怒っていた。
多分、ファーストフード店というのは
ワタクシの中では怒りをぶつけるの相応しくない
象徴として夢の中に出てきたんではないかと。
まあ、相手は時給数百円とかで働いて、
ワタクシも数百円しか払はないようなところだし。
その場所で、小さな理不尽は、大きな怒りとなって
放たれていたのだよ。
自分の中の理不尽さに
怒っていたのだろうけれど、
自分を分析したところで、
考え方をちょっとずらしたところで、
無意識の中で理不尽だと思った気持が
解消されるわけではないんだろうな。
理解したと意識的に思うのは、
時として感情の壁にあたって
無意識的には納得いってないのかもしれないね。
ということを考えていると、
他のいろんな人のことが心配になってくる。
みんな、もがくよなぁ、そりゃ。
- 2006/09/28(木) 14:13:07|
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今朝、ふと思い立つ。
そうそう、前から、ビリヤニのうまい店があって
行きたいなー、と考えていたんだ。
ビリヤニっつうのはインド(他中央アジア圏でも同名らしいが)の
炊き込み御飯みたいなもんらしい。
それを、チュカウニというヨーグルトで和えて作る
ジャガイモのサラダと一緒に食べると絶品!
という噂の店があるのだ。
先週の月曜から、
身体が痺れるほどぐったりしていて
ダルさがとれない。
どこが痛いとか肩凝りがひどい
ということもなく
ただ、不調なのだ。
疲労困憊という言葉がとてもしっくりきて
素敵!
という体調が続いている。
金土は特にだらだらだったよ。
こういう時にはインド料理!なので
インド絡み友達に一緒にイカへん?
と、日曜早朝にメール!
あっけなく断られる。
土曜日曜と代々木公園でナマステ・インディアという
インドフェスタを行っていることが発覚。
一人でのこのこ行ってみた。
現地にはインド料理や民芸品、
観光局などのテント(屋台?)がいくつか並び、
その中の一つでドーサという南インドのクレープと
野菜カレーのセットが売られている。
最近、南インド系料理にフェティッシュ!くらいな勢いで
愛着を感じているので、迷わず頼む。
500円ナリ。
割安だよ。
普通これだけのヴォリュームでこんなに安くない。
野菜カレー(というかサンバルなんだけど)は
冷凍野菜を使っているようだけど
本場インドでは冷凍ミックスヴェジタブルなんて使わないぞ、
コラ!
という批判は、了見が狭いのだ。
この「ま、イイじゃんコレで」のやっつけ感覚こそインドなのだ!
(言い過ぎ?)
だから、これは現地の素材を現地と同じ方法で作るという、
イカニモな正統性を前面に押し出しているのではなく、
精神論なのだ。
インド万歳。
と、考えつつ、代々木公園の若人達をぼーっと眺めながら、
汗をカキカキ、ドーサ喰ったさ。
旨かったよ。
ちょっと、体力も回復したかも?と錯覚してきたので
さらにアゲちゃえぇ、とばかりに、
幡ヶ谷にある納豆丼専門店の「ねばり屋」に向かう。
そう、納豆丼しかおいていない店で、
コレに
鶏そぼろとか
メカブとか
山かけなんかをオプション的に選んで頼めるのです。
なかなか美味でした。
というわけで、インドと日本の元気がでそうな
お料理をしこたま喰いました。
帰宅してみて、身体はまだトローンとしている。
効果はおいおい出るよ。
と、根拠のない希望を胸に2度寝でもしたい。
昨晩は友人宅で尾崎豊のライブ映像を拝見した。
ワタクシがもっと若い頃、尾崎がもてはやされていた当時、
あの歌手のことをワタクシは嫌いでした。
荒削りな歌唱も詞の内容もこっぱずかしかった。
あの音楽を聞くと鳥肌たった。
盗んだバイクで走り出すことが当たり前のように
正当化されるなんて、ずるいわ、そんなの、
と思っていた。
で、この歳になって、見て、聞いてみたら、
意外に良かったよ。
バイクを盗むことには"NO!"だけど、
そうなってしまった、尾崎君の痛みは共感できるかな?と。
いろいろ赦せるようになったのかな?と。
尾崎は覚醒剤のオーヴァードーズで1992年に他界しましたね。
不謹慎かもしれないけれど
麻薬と抗鬱剤って親戚みたいなもんなのかなぁ?
とか思ったりする。
尾崎サン、安らかに永眠くださいませ。
この若くして亡くなったミュージシャンについて
何となく長々と書いていましたら、
本日は25日でございます。
2006年9月25日
ノブオさんの一周忌です。
ワタクシの友人のカウンターテナーの方です。
彼の生前を御存知の方、ちょっとの間、
彼のためにお祈りをしてあげてください。
Give me Jesus
When I come to die
Give me Jesus
You can have all this world
Give me Jesus
- 2006/09/24(日) 23:50:50|
- カレー
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そこそこ頑張っている人に
「ガンバレー」っていう応援はちょっと違うでしょ?
って思うでしょ?
舞台に上がって、これから何かをやろうとしている人に
「がんばれー」ってのは、パフォーマーとしては
結構落ち込む人もいるのではないかとも思う。
ギャラ云々以前に、人の前に立って、
何かアーティスティックなものを披露するという行為は、
観衆や聴衆に何かを与える、心に訴えることであって、
それに対して受け取る側が送り手に答える言葉は
「ありがとう」であったり
「よかったですよ」であり
「今回のはいまいちだったよ」であり
時として「ひどかったよ」であって
特に舞台の上でコレから何かをはじめようとしている
送り手に「がんばれー」は
「オマエ、がんばんなきゃ出来なさそーだから応援してやるよ」
的な、優越ニュアンスを含み、
あんまりプロパーな声援じゃないと思う。
送り手が大丈夫でなさそうなステージマナーで
頼り無いオーラを
受け手に感じさせている時点で
「がんばれー」も仕方がないかな?
という気もしなくはないがな。
まあ、またそれは別な話。
同じように、これはどうかな?
という激励というか説得というか、
まあ「癒し」促進を目的とした台詞なんですけど
「みんな、そうなんだから」という常套句がありますでしょ?
「オレ、もう疲れた。会社辞めたい」という嘆きに対して
「世の中みんな疲れているんだから云々カンヌン」というやつ。
嘆いているのは他はどうあれ、
「自分は疲れている」ということであって、
他人との相対的な関係とは違うところにあるのに
「みんな、そうなんだからオマエも耐えろ」って…
ソレ違うでしょ?
それに、同じような状況下にあっても
やっていること、やり方も人によって違うし、
それから受ける疲労度も人によって違う。
それまでのその人の人間形勢を築くまでの生活環境も、
その人が根底に持っている人間性も他人とは違う。
その辺を全部、ひっくるめて無視して
「みんな、そうなんだから耐えろ」って、
そりゃないよ、セニョール、セリョリータとも思うが、
往々にして
「みんな、そうなんだから君も耐えろ」的返しをする人って
「オレも大変なんだから、君だけ大変がっているのはしゃくに触る」の第一人称を「みんな」に替えて発言していることが場合が
あるんではないかと思うわけよ。
「オレだけ不幸になるのは気に喰わないからオマエもな!」
みたいなね。
で、「大変なのはオマエだけじゃない、もっとガンバレ」
っていう叱咤激励になると「ガンバレ」嫌悪組の方々には更に
「うっせーよ、もうやめたやめた」
っぽい、メンタリティに追いやられそうな気もする。
まあ、ワタクシがジャッジして、
何がイイ悪いということではなくて、
どの激励の言葉も、ワタクシ言ったことあるし、
そういう気遣いの無さもワタクシの中にあるし、
他人への「やっかみ」もあるのですよ。
で、それを差し置いて他人の批判もないので
ワタクシは人の言動が「善意」のものであれば
慇懃無礼は許しちゃおう!と思うのです。
自分も赦されたいし。傷付きたくないし。みんなに好かれたいし。
だからね、ワタクシが誰かに「がんばれー」って言っている時は
その人を馬鹿にしてんのではなくて、自虐なのです。
この秋、Mに磨きをかける!キラ☆
- 2006/09/18(月) 16:42:16|
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